物語表現の一つとしてのゲーム『 BEYOND: Two Souls 』の意義とは?
フランスのパリに拠点を置くゲーム制作会社【 クアンティック・ドリーム 】は、去年に『 Detroit: Become Human 』をリリースしたことで、最近でも話題になりましたが、
今回は、その前作にあたる『 BEYOND: Two Souls 』をプレイしたので、紹介しておきたいと思います。
さらにその前の作品である『 HEAVY RAIN 心の軋むとき 』が、ジャンルで言えば【 サスペンス 】や【 ミステリ 】であったのに対して、
本作は、少し【 ファンタジー 】や【 ホラー 】の要素を含む【 アクションアドベンチャーゲーム 】ですね。
ただ、アクションと言っても、他の二作と同様、ジャンプや攻撃・回避行動などが自由に行えるタイプの操作性ではなく、
基本的には、物語の進行に合わせて移動し、シーン中に指定された操作( 例えば、× ボタンを連打するなど )を、時間内で行えるかどうかによって成否が判定される、というような、いわゆる【 QTE 】と呼ばれるものに近いと言えるでしょう。
しかし、この作品に関しては、案外【 ステルスアクションゲーム 】のような動きが必要とされる場面も多く、
主人公に「 特殊能力のようなもの 」があったりもするので、その操作性は、実は、かなり複雑にも思えます。
その上で、本作の凄いところは、その複雑さを全く感じさせない、ということであり、
ゲームとしての楽しみを備えつつも、次にどう動けばいいのか分かりやすい演出になっていて、ほとんど流れるように、直感的に操作していくことができ、
また、この手のゲームによくあるように「 ゲームオーバーという概念がない 」ことも手伝って、集中を途切れさせることなく、物語に没頭することができました。
もちろん、マルチエンディングではあれど、ストーリーの大筋は一つなのですが、
例えば、選択肢によって会話を進めたり、特定の行動をするかどうかによって分岐する部分もあり、物語の細部は変化したりもするので、自分で物語を作り上げていくという、やり甲斐もあります。
モーションキャプチャーによる繊細な人物描写も相まって、まさに「 プレイする映画 」と呼ぶにふさわしい、ただし、受動的に映画を見ているだけでは味わえない感動を得ることができる、そんな作品です。
と、ここまでは、そのまま前作や次作にも当てはまる評価であり、当然、技術的には最新作になるにつれてクオリティが上がっていると思われるのですが、
では、本作に特有の魅力、特に優れている点を挙げるとしたら、何があるでしょうか?
前作『 HEAVY RAIN 心の軋むとき 』では、大切なものを守るために自らを犠牲にするような選択をプレイヤーに迫ることによって、主人公とリアルに感情を共有できたり、
一つの【 ミステリ 】として、ゲームでこそ最も効果的に表せる「 トリック 」を体感できたりしましたが、
対して『 BEYOND: Two Souls 』では、主人公の持っている「 特殊能力のようなもの 」が、ゲーム性のみならず、物語にも密接に関わってくる、
どころではなく、
ゲーム性と物語とが、完全に一体となって「 物語表現の一つとしてのゲーム 」を構成しています。
その「 特殊能力のようなもの 」に限らず、身体能力なども含めた、主人公の設定は、単にゲーム性を強化するための要素としてあるのではなく、実は、それこそが、この物語の核となる部分であり、
決して、ご都合主義的なものではなくて、この主人公の半生を描く物語の流れとしては必然的なものであると感じられるようになっており、
全体として綺麗にまとまっているので、特に、物語としての完成度は、随一のゲームだと言っても過言ではないかもしれません。
つまり、一言で言うなら、ゲームでなければ、この物語は表現し得ないという点で、このゲームは特別なのです。
ゲーム性を重視した作品であれば、当然、ゲームでなければ楽しめないでしょうし、ストーリー性を重視した作品であれば、きっと映画にしても面白いでしょう。
しかし、本作は、かなりストーリーに重きを置いた作品でありながらも、ゲームとしてプレイヤーが操作することによって、初めて「 特殊能力のようなもの 」が成立し、形作られる物語になっています。
ただ、感情移入しやすいから、分岐があるから、ゲームであるべきだというだけでなく、そのゲーム性を通じて、プレイヤーが本当の意味で物語世界の中に溶け込めるからこそ、ゲームでなければならないのです。
抽象的すぎて、分かりにくかったかもしれませんが、少しでも気になったなら、具体的には、是非、自分でプレイして確かめてみてください。
そして、是非、物語表現の一つとしてのゲームの可能性を、その身で感じて頂ければと思います。